Kumagai Morikazu: The Joy Of Life  The National Museum Of Modern Art. Tokyo

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび

東京近代美術館 2017年12月1日(金)〜2018年3月21日(水・祝)

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展覧会の構成

the 1900s-1920s

1章

闇の守一

《蝋燭》

蠟燭ローソク1909年 岐阜県美術館

1900年、熊谷は東京美術学校(現・ 東京藝術大学)に入学し、黒田清輝らの指導を受けました。 同級生に夭逝の画家、青木繁がいます。授業で人体のデッサンを学び、1920年代以降の裸婦像の基礎を作りました。 また、闇の中でのものの見え方を追究するなど、早くから独自のテーマにも取り組みました。
1910年、岐阜の山中にある故郷に戻り、材木を扱う仕事をした後、再び上京。山仕事の経験は晩年に至るまで熊谷の作品や生活態度に影響を与えました。

the 1920s-1950s

2章

守一を探す守一

《裸婦》

《裸婦》1930-40年 油彩・板 

この時期熊谷は、絵具を厚く塗り重ねる技法を用い、多くの裸婦像を描いています。 また千葉、長野、故郷岐阜、 山形など山や海に出かけ、風景画を制作しました。 こうした裸婦像や風景画の中から、次第に、くっきりした輪郭線と色の面による戦後の作風がかたち作られました。 また、この頃に描かれた膨大なスケッチは、戦後の作品にも繰り返し使用され、熊谷作品の土台を成すものとなりました。 油彩以外に書や水墨画を手掛けるようになったのもこのころです。

the 1950s-1970s

3章

守一になった守一

 

伸餅 のしもち 1949年 愛知県美術館 木村定三コレクション

戦中から戦後にかけ、くっきりした輪郭線と色を特徴とする、もっとも広く知られる画風が完成しました。 70代でからだを壊し、以後自宅からめったに出ず、主に庭の花や虫、鳥など身近なものを描くようになります。しかしこうしたモチーフのいくつかは、すでに1940年代に描かれたスケッチの中に登場しており、長期にわたってねばり強く関心が持続する熊谷の制作の特徴がうかがえます。